料理研究家 宮前真樹さんインタビュー

HUMAN

2017.05.30
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日本武道館コンサートを成功させるなど、トップアイドルグループ『CoCo』の一員として活動した宮前真樹さん。現在は料理研究家としてレストランをプロデュースするなど多方面で活躍しています。アイドルから料理研究家への転身の理由や、いまイチオシの調理方法など、お話しをうかがいました。

美養サラダ/料理研究家
宮前真樹さん

アルバイトに落ち続けていたから誕生した「アイドル・宮前真樹」

――「CoCo」のメンバーとして活躍されていた宮前さんですが、
どのようなきっかけで芸能界を志したのですか。

私が子どもの頃は、いわゆる「アイドルブーム」。聖子ちゃんにピンク・レディー、おニャン子倶楽部…。TVで見るアイドルに憧れ、「アイドルになろう!」と子どもながらに考えていました。でも、アイドルなんてどうやってなれば良いかわからない。引っ込み思案というか、自分の思いや考えを誰かにアピールする方でもなかったですしね。特に行動も起こさずに小学校・中学校と卒業していきました。転機が訪れたのは高校生のとき。高校生になったので、アルバイトをしてみようと思い立ったのですが、ファミリーレストランやコンビニ、ステーキハウスなど受けた面接はどれも不採用。家で何枚目になるかわからない履歴書を書いているとき、点けっぱなしにしているTVでたまたまタレント育成の『乙女塾』のメンバー募集CMが流れました。物は試しと思い、軽い気持ちで応募したところ書類選考が通過。とはいえまさか自分が合格できるとは思わず、面接に向かうときもほとんど観光気分でしたね。テレビ局までの道のりは、選考を受けに行くであろう女の子に対し、どの子も可愛く素敵に見えて、自分がその場にいることに慌ててしまう始末。面接も手応えを感じられないまま終わったのですが、結果はなんと合格。その3カ月後には『CoCo』としてデビューしていました。

――現在のご自身が、当時の『アイドルの宮前真樹』を
振り返るとどう思われますか。

下積みもなくデビューしたからか、CoCo当時は季節ごとに開催される大きなコンサートも、応援してくれる大勢のファンの皆さんにも深い感慨を持っていませんでした。武道館でのコンサートなども、そのときは武道館の持つ歴史やありがたみを知らず…もったいない話かもしれませんね。

――解散後、どのようにして料理の道に進まれたのでしょう。

CoCoでの私は、ボーイッシュな明るいキャラでした。それがグループ内で“個性”となっていましたが、芸能界を見回してみたら自分のような人はいくらでもいます。「アイドルになる」という目標を叶えてからは、芸能界に強い興味も持てず自分の立ち位置もよくわからない…とりあえず、目の前に仕事はあるので現場には足を運ぶ…。そんな中で興味を持ち続けていたのが料理です。

アイドル時代からお菓子を現場でふるまうなど料理は好きだったのですが、いつしか料理番組や料理本で料理教室『ル・コルドン・ブルー』の存在を知るようになりました。パンフレットを取り寄せては「いつかはここに通いたい」と夢想していたのですが、きっかけとなったのはやはりTVです。

地元のお菓子教室が紹介されているTVをたまたま目にし、「これは良いきっかけだ」と考え、すぐに念願だった『ル・コルドン・ブルー』に電話をかけて翌日には見学へ。そのまま入学し、気づけば隔週1度の出席が毎日になり、先生のアシスタントを務めるようになるなど、自分の生活で“料理”のウエイトが大きく占めるようになりました。いつの頃からか、「もしかしたら、料理は私に向いているんじゃないか!」と思うまでになりましたね。

―― 『乙女塾』応募のときもそうですが、
思い立ってからの行動が早いですね。

思い込みが強い性格なのかもしれませんね(笑)。自分の希望を口に出すことはそうそうありませんが、胸の内では常に考えを温めておく。だからこそ、それこそ「TVで見た」というようなきっかけがあればすぐに動き出せるのかもしれません。『ル・コルドン・ブルー』卒業後は、そこで出会った友人と一緒に企業へスイーツのアイデアを売り込みにいったり百貨店にお声掛けをいただき催事で料理を販売するなど、とにかく料理漬けの日々でした。

変化は悪いことではない
その時に最善と思われる手を尽くし夢に近づいていく

―― 現在はレストランを経営するかたわら、
さまざまなお菓子や料理のレシピ開発にも意欲的です。

無駄に前向きというか、いただいた仕事はとにかく「チャンスだ」と思ってお受けしてきました。その中でお菓子以外のレシピ開発や作ったことのない料理の仕事をする過程で、徐々に守備範囲が広がっていった形です。アイドル時代に不摂生な食事で太ったり肌荒れをした経験などを活かし、美と料理の関係をメインにお仕事をさせていただいています。

―― アイドルというお仕事と現在のお仕事では
向き合い方に変化はありますか。

仕事に取り組む姿勢ですね。アイドル時代は、当たり前にようにお仕事をいただけていたので、「この仕事が次の仕事につながる」という意識が希薄でした。考えが幼かったあの頃に比べれば、今はどんな仕事でも前向きに、全力で取り組むようになっています。レシピ開発などいわゆる裏方の仕事をするようになってからは、自分がアイドルだった頃、いかに大勢の人々に支えられていたかにも考えが及ぶようになりました。

―― 今では、レシピ本を発行されるなど
料理研究家として情報発信にも積極的ですね。

引っ込み思案だった昔に比べて、自分の気持ちも外に向けて発信する大切さをかみしめるようになったかな、という気がします。その時に正しいと思ったことややりたいと思ったことがあれば口に出す。たまに、「前に読んだ取材記事と発言が違う」と言われることがあったりもしますが、夢を追う過程で考え方が変化するのは悪いことだとは思いません。その時その時の最善を尽くすことで、希望は叶えられていくものではないでしょうか。料理の面白さは、食べたものがその人の体を作っていくことにあります。実際に、私の料理で誰かが健康になったり笑顔になったりする…。その喜びは、自身の学んできたスキルが生み出したもの。進むべき道を自ら選択し、切り開いてきたからこそのものです。これからも、自分が“良い”と思ったことには正直に、貪欲に突き進んでいきたいと思います。

2016年ごろから海外セレブのあいだで流行しているべジヌードル。「野菜を専用のカッターで削るだけでできるべジヌードルは、野菜を多く摂れるだけではなく調理時間の短さや見た目の華やかさが素敵です」と最近の宮前さんイチオシの調理法。野菜をパスタ代わりに使えるので、ダイエットにもオススメです。写真は、いなり寿司用の油揚げにドレッシングで味付けしたにんじん・大根・ビーツをいれたもの。

[聞き手から]

料理は天職だと語る宮前さん。アイドルから料理研究家へ転身しても、変わらないのは自分の夢を実現するんだという強い思い。何気なく目にしたTV番組をきっかけに自分の道を切り開いていく行動力は、内に秘めた思いがあってこそ。自分の夢を叶えるために今も邁進する姿が印象的でした。

宮前真樹さん

89年、フジテレビ『パラダイスGoGo!!』の乙女塾1期生となり、アイドルグループ「CoCo」のメンバーとしてポニーキャニオンより「EQUALロマンス」で歌手デビュー。94年に「CoCo」解散後はソロ活動を開始。その後は食育インストラクター、食農検定資格の取得や食や料理に関する商品開発、食育教室など幅広い食育活動を開始。16年には書籍『サラダのくすり箱-美養サラダ&ベジヌードルレシピ』(ワニブック社)を発行。

宮前真樹さん公式ブログ
https://ameblo.jp/makibotchi0116/

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